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皆さま、こんにちは。ミニマリスト初心者の白井紗環です。
今回は、これからミニマリストを目指す方や、私を含むミニマリスト初心者の皆さまが最初に直面するであろう心の葛藤、「捨てるのが怖い」について考察いたします。
モノに対する執着心・未練・手放すことへの不安…ミニマリズムの追及には、人間のココロというものを深く掘り下げて考える必要があります。と同時に、深層心理の複雑さを思い知らされます。
でも、私はミニマリスト初心者だもん!もっと軽くていいんだもん!と思いながらも、実に重ーく、暗ーく、マジメーな記事になってしまいました。軽くてカジュアルな記事をお望みの方はそっとバックブラウザをオススメいたします…。
- 損失回避の心理について
- 過去の記憶や感情への執着
- 未来への不安
- 社会的・経済的価値へのこだわり
- 所有することで感じる安心感
- 忘れることへの恐怖
- 誰かの期待やプレッシャー
- 完璧主義による失敗への恐怖
- おわりに
損失回避の心理について
損得について考えるとき、私はその人の本質(人間性)が表れやすい気がしています。
ヒトは誰でも損するよりは得したい
私は長い間このように考えていました…でも、違いました。違っていたんです。「自分の価値観」というものについて深ーく考えている人は、損得よりももっと大切にしなければいけないことがある、と「頭」ではなく「心」で理解しているのです。
将来の不確実性に対して、所有することで安定を保とうとする人はミニマリストには向いていないかもしれません。私もどちらかといえば不安症で、持つことで安心を得ようとするタイプの人間でした。だからこそ、ミニマリストに憧れたのかもしれません。
過去の記憶や感情への執着
モノにはそれにまつわる思い出や感情が刻まれています。プレゼントや記念品、旅行先で買ったお土産などなど、それを手にするたびに過去の楽しかった出来事が思い出されてほっこりした気持ちになります。
そういうものを私は捨てられるのだろうか?
捨てることに強い拒否感や恐怖感が生まれるのは当然の心理。モノを手放すことが、過去の自分や大切な瞬間を否定することのように感じられてしまうからです。
私もここを乗り越えるのに結構時間がかかりました。どうしても捨てられないものは、段ボールにまとめておいて(保留ボックス)、時間がたってからもう一度捨て活チャレンジしてみたり。それでもやっぱり捨てられなかったり。ムリに捨てることはないと開き直ったり。
執着を手放すのは時間がかかるのです。いつかきっと(なんでこんなものを大事に取っといたんだろ?)と思う日が来ることを信じて。
未来への不安
「いつか使えるかもしれない」「この先必要になるかもしれない」…身の回りの物を整理し、捨て活を進めるなかで、何回も心に浮かんだ言葉です。そして、その言葉に負けて捨てられずに取っておくと、結局いつまで経っても捨てることができません。
今なら言える
いつか使えるの「いつか」は永遠にやって来ない
これは人間の根底にある不安に対して、安全を求める心理や、不足感への恐れが影響しているようです。人間は例外なく死を迎えますが、いろんな意味で「忘れる」ことの大切さ、心身の健康には欠かせないことなんだなって思います。
社会的・経済的価値へのこだわり
高価なモノやブランド品、まだ使える物を捨てることに対して「もったいない」という感覚を強く持ちます。とくに苦労して手に入れた物や、社会的に価値があるとされる物を手放すことは、自分の努力や経済的な投資を否定するかのように感じられ心理的な抵抗を強く受けます。
わあ~、これこそブランドのマーケティング
こういう物はこれまでの自分の立場や価値観を如実に表現している場合も多く、捨てることが自己否定につながったりするので非常に厄介です。最近では、このような心理状態に陥らないために、好きで買うのではなくリセール狙いで購入する、という人も増えているようです。
所有することで感じる安心感
不安定な戦後を生き抜いた世代は、物を持つことに一種の安心感や安定感を得ていることがあります。とくに長い間ずっと同じ場所にある物や、普段使わないながらも「そこにある」という事実だけで安心感を得られるような物の場合、それを手放すことが心の安全性を欠き、次第に恐怖につながる場合があります。
昭和初期の親の価値観、子の苦労
この心理は、物が生活の一部として自分の認識や生活の基盤を支えていると感じることから生まれます。まあ仕方ないっちゃ仕方ないが、なかなか強力な洗脳だと思います。
忘れることへの恐怖
自分の持ち物は、その人の個性や過去を表現する手段として捉えられます。趣味で集めたものや、長年愛用してきたものは、個人のライフスタイルや価値観を象徴しています。
だからね、忘れるって大切よ
これらを捨ててしまうことで、自分自身の一部を切り落とす、あるいは強制的に忘れさせられるように感じることがあり、認知機能のバランスが崩れてしまうのではないかという恐怖につながることがあります。
誰かの期待やプレッシャー
家族や友人からもらった贈り物や遺品など、自分と他人との関係性に由来する物を捨てる行為ほど罪悪感やプレッシャーがハンパないです。その人との絆を軽視しているのではないか、相手を裏切っているのではないか、などと架空の罪の意識に苛まれ、頭がおかしくなるかと思いました。
贈り物は「飲食物」か「洗剤系」にしよう
とくに亡くなった人から受け取った物や、重要な瞬間に関連する物(受賞のトロフィーとか)は、他人の期待や思い出を預かっていると感じることがあり、そのような物の取り扱いに苦悩する人も増えています。
完璧主義による失敗への恐怖
完璧主義者(ワテクシ)は「正しい選択をしたい!」という強い欲求があるため、物を捨てるという決断に対しても完璧を求めます。そして、物を手放すことが決定的な失敗になるのではないかと感じ、捨てることを怖がります。
よしっ完璧!この口グセ、どうにかして…
また、思い切って捨てた場合、後になってそれが間違いだったのでは?と思うだけで、完璧主義には非常に大きなストレスがかかります。完璧主義こそミニマリズムで柔軟な心を育てる必要があると思います。←私のことです。
おわりに
上記にあげたようなこれらの心理的な壁は、ミニマリストを目指す際に大きなハードルとなります。しかし、意識的にこれらの感情に対して冷静になることで、物と自分の関係性を見直すことができると思います。情報として先にこういう心理になることを知っておくと、実際にその感情が湧き出てきたときに落ち着いて対応できると思うのです。知ってるのと知らないのとでは、やはり知っているほうが気持ちに余裕が出ますしね。
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いかがでしたでしょうか?
ミニマリズムを追いかけていくと、こんなにもいろいろな心理状態に直面するんですよね。ただの流行りモノではなく、ものすごく奥深いのです。
大袈裟ではなく「人間の心の奥底にアクセスしていくような感覚」といいますか。
私も少ししずつ恐怖を乗り越えて、自分なりのミニマリズムを完成させていきたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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